所沢主婦のダイオキシン日記
1996年のある休日、共産党のおじさんに手渡されたビラで所沢インター付近の
産業廃棄物処理場からダイオキシンが排出されていることを知る。「所沢はひどい
ことになってるんだよ。」というおじさんの言葉。
ダイオキシンといえばベトナム戦争でまかれた枯葉剤に含まれていて、ベトちゃん
ドクちゃんという奇形の赤ちゃんが生まれたことは私でも知っている。非常に恐ろしい
ものだ。また同時に、私の脳裏を大宮行きのバスの中からたびたび目にしたことのある
異様な光景も浮かんでいた。数メートルもあるかと思われるブリキ塀の向こうにゴミ
らしきの山の頂上がそびえていた。田舎から来た私には一瞬それが何なのか想像も
つかなかったのだった。
1997年3月
夫がしてくれた問い合わせにやっと市役所から返事が来た。マスコミの報道によって
市民の不安感が高まっているのは認識している。県が行った調査は、広報などで結果を
報告していく。市でも独自に大気中のダイオキシン濃度を測定する。という内容だった。
1997年3月
ザ・スクープを見る。所沢に住んでいる母親の母乳を絞りダイオキシン量を調べたところ、
高濃度で検出されたらしい。愕然としてしまった。子どもは絶対に母乳で育てたいと思っていたが、
産院を退院するまでに十分な母乳が出なかった私はさまざまな努力を重ねこうして今、母乳育児を
楽しめるようになっている。この子の健康のためにも、母子の精神衛生上もいいと信じて疑わなかった
母乳とおっぱい。それが自分の身体から毒を排出し、子どもの口に流し込むことになっていたとは。
今、喜々としてしゃぶり付いているこの口をおっぱいからひっぱがすのが愛情なのか…。
去年共産党のおじさんから聞いた言葉は本当だった。選挙が近いから「票稼ぎかなあ」等と
勘ぐってしまった私はバカだった。取り返しのつかないことになっているのではないだろうか。
ここ、所沢は。
1997年3月
恐ろしくなって、我が家にたまたま一冊あった環境汚染の本「農薬と環境破壊56話」
(光雲社 加藤龍夫著)というのをめくってみる。あった。史上最強の毒ダイオキシンと出ている。
この本は90年発行だが、著者はこの時点で5年前(1985年)に、集じん方法を改善することで
ダイオキシンの発生を抑制することが出来ることが発見されているのに、東京都も環境庁も何一つ
対策を実行しようとしない。と書いている。ダイオキシンは10年以上も前から問題になって
いたのに、国は無視をしてきたということか。著者は、ダイオキシンの項を「ダイオキシン対策
後手後手となることが甚だ懸念される。」とむすんでいる。
1997年 3月 「ダイオキシンを少なくし所沢にきれいな空気をとりもどすための条例」
が市議会で可決されたらしい。何か大層なことをしたように見えるが、表面的なパフォーマンス
でしかなかったという事のないように。一日も早くダイオキシンが無くなりますように。
1997年 3月
アエラの恐ろしい記事を見てしまった。「日本は世界一のダイオキシン汚染大国」と書かれている。
日本人の母乳の汚染は枯葉剤を大量にまかれたベトナム人よりも高いとある。その日本でも最も
汚染度が高いと思われる所沢に住んで、我が子に二年も母乳を与えてしまったとは…。また、私は
以前、子宮が後屈だから子宮内膜症になり易いといわれたこともある。心配だ。
もう一つ気になるのは、魚が食品の中では汚染度が高いとあることだ。夫は肉が好きだが
私は魚が好き。今まで、「なんだ魚か」と嫌がる夫を体にいいからと説得して食べさせて
きたのに。それ見たことかと言うに違いない。でも、肉だって、牛はダイオキシンに汚染された
草を食べ、空気を吸っているんだから危ないんじゃないんかな。そう思うと何を食べるのも怖く
なってしまう。
1997年4月
ゴミを出す袋に決まりができた。黒い袋が駄目で、燃えるごみは白、燃えないゴミは透明か、
半透明の袋に入れなければならないらしい。「いついつから変わりますよう」という通知が
あるだけで、どうして変えるのかという説明はいっさいない。黒い袋が駄目だというのは、
中に何が入っているのかわからなくて収集の方が怪我をされるといけないからかしら。こんなに
ダイオキシンが問題になっている今日この頃、燃やしてはいけないゴミを、燃えるゴミの中に
入れて出すのが一番困り、それを防ぎたいからではないのだろうか。そうだとすると、燃える
ごみが白い中身の見えない袋でもいいですよ。というのはおかしいんじゃないか。もちろん、
私達にとってはごみの中身は見えない方がいいに決まっているから、白い袋OKは大いに歓迎だが。
それにしても、ゴミ問題を担当する人は、自分の手で実際の生活から出るゴミを分けたり、
ゴミ置き場を見てまわったりはしているのだろうか。こんなにいろんなゴミが毎日出ているのに、
不親切な分別表はそのままで、袋の決まりだけ変えて「ハイ、対策考えましたよ」じゃダメよね。
やっぱり。
実際、私はついこの前まで明らかにプラスチックとわかるトレーや卵のパックは別だが、
サランラップやお菓子の袋などは燃えるゴミに入れていたんだから。分別表にも、
サランラップをどうしろなど、なんにも書いてないもん。自分はまあまあまじめに分別してる
と思っていたのに、私もダイオキシン排出に多少とも荷担していたかと思うとショックだ。
1997年4月
インターネットでダイオキシンを検索する。所沢からダイオキシンについて発信しているホーム
ページがひとつあった。新聞に報道された内容がのっているが、朝日新聞の記事はひとつもない。
朝日はそれほど扱っていなかったのか、私が見落としていたのか。埼玉版はほとんどみていなかった
もんなあ。今まで所沢の住民だということをあまり意識してこなかった。市役所の建物を始め、
文化会館や水道局など、いやに「箱もの」に金をかけるところだなあと思っていたが、どうせ永住
する土地でもなし、関心持ったところで腹がたつだけだ。と思っていた。
しかし所沢市が主催しているホームページにダイオキシンのことがひと言も書かれていないのは
不思議だ。これだけ報道があって住民が心配しているのに、この市ではなあんにも起こって
いませんといってるような平和な画面を見て、胸くそが悪くなった。
1997年4月
小中学校の小型焼却炉は使用禁止になるらしい。航空公園にある焼却炉も使っていないようだ。
あんなところに焼却炉があるなんて気にもしていなかった。今までいったい何を燃やしてい
たんだろう。ゴミ箱はビン・缶と燃えるゴミの2種類だけだから、コンビニエンスストアのお弁当
を包んだラップとか弁当箱なども燃やされていたのかなあ。それとも回収したあと分別して業者に
回されていたのかなあ。学校の焼却炉では何を燃やしていたのかなあ。この辺に昔から住んで
いらっしゃる人は、以前公園の焼却炉近くの桜が、すっかり枯れてしまったことがあった、と教えてくれた。
これで少し改善されるといいが。
1997年4月12日
昨年11月に、行われたダイオキシン調査について県側の説明会が開かれると言うので、
子どもを連れて聞きに行く。ドイツでは、土の入れ替えが必要とされるほど、高濃度の
ダイオキシンが検出されたという航空公園で、毎日子どもが転げ回って遊んでいるのは危険では
ないのだろうか。それを確かめたい一心で出かけた。
既に所沢のダイオキシン問題に取り組んでおられる団体や市民の方がおられるようで、
その方達と県側との質疑応答があった。聞いていると、測定の方法や精度、発表された数値に
色々と問題があるようだ。私も航空公園の事を聞いたが、県側の答えは「まだわからない」とか
なんとか、うやむやのまま終わってしまった。
ダイオキシンの問題はなかなか複雑なようだ。産業廃棄物処理場で燃やされるゴミは、
住宅建材が多いらしく、しみこんでいる化学薬品や、貼り付けてあるビニールの壁紙など、
なかなか分別が大変らしい。そのゴミも、私たちの町からでるのではなく、東京から持ち
込まれる物が多いらしい。しかし、処理場も勝手にぼこぼこ建てられるわけではないだろうから、
県が許可を出しているに違いない。ある方は質問の中で、まだこれから処分場が建つ気配が
あると言っておられた。県は、何とかアリーナとか訳の分からない物をつくる金があるんだったら、
ダイオキシンの出ない施設のために補助したりできないのかなあ。
何ピコだの何キロ圏内だのと言われてもよくわからないが、県が「現時点で、人の健康に影響を
及ぼしている可能性は小さいと考えられる」といってごまかしていることだけはわかった。
可能性は小さいんだから大丈夫と言いたいのだろうか、それとも小さいながらも影響を及ぼす
可能性はあるということなのだろうか。
それにしても、下富の方が煙にたまりかねて調査の要求を出したのが去年の5月だという。
調査が行われたのが去年11月。調査結果の説明会が4月。どうして行政のやることはこうも
時間がかかるのだろう。
それから、もう一つ。周辺の農家の人には作物が売れなくなってしまうのであまり騒ぎ立てて
ほしくないという気持ちと、このままではいけないという気持ちのジレンマで苦しんで
おられる人もいらっしゃるようだった。
コプラナーPCBという言葉が頻繁にでていた。確か「アエラ」に説明されていた。
それも含めて調べて欲しいという要望を住民が出していた。
1997年5月
義父がダイオキシンのことを心配して、色々気にかけて下さる。テレビや新聞に報道されて、
大きな問題になっているのでこれから良くなるはずだろうと答える。理科が専門の義父には化学式か
何かからどうすればダイオキシンが発生するかがわかるらしく、なあんにもわからない私たち(?)
の事を嘆いて「日本は国民からどんどん理科の知識を奪っていく」と学校教育を批判していた。
何にもわかんない私たちは国家に都合いいように育っちゃったって事?
1997年5月
産業廃棄物処理場ってどんなものなのか、ふらふらと地図を頼りに行ってみる。
何とかたどり着いたところはまるで要塞のようだった。
この辺はどこに行っても高い塀で囲ってあって中で何をしているのかよく
わからない。ただ、煙突から煙がもくもくとあがっているから産廃業者に違いないだろう。
このぐらい大きな施設だと、ダイオキシンが出ないようにきちんとした焼却炉を使っているんだろうか。
焼却炉の周りには砂のようなものがうずたかく積まれている。もしかして焼却灰?まさかね。
ダイオキシンは炉で生成されるから、焼却灰の中には高濃度のダイオキシンが含まれている
と聞いたことがある。まさか、シートもかけないで、雨水のしみこみを防ぐこともなしに放置している
なんて事はありえないよね。
1997年6月8日
朝日新聞に連載が始まる「ゴミとたたかう」の記事にすごい写真が載っていた。
中学校のすぐとなりが産廃処理場で、ゴミの山に作業車が2台のっかっている。焼却炉は
施設整備のため休止しているということで、ほっとする。
いったいどんな所なのか、見に行ってみる。煙は止まっていると言うし、高い塀で囲われ
ているのでよく見えないが、雑木林の間の道から処理場らしき方へ近づこうとすると、
道に色々なものが(不法かどうかわからないが)投棄されていた。こんなものからも、有毒物質が
しみ出したりしないのだろうか。確か、香川県の豊島というところでは、産廃の不法投棄によって、
周辺の土壌が汚染されたと聞く。それとは、ゴミの質は違うのかなああ。それにしても、ゴミを林の中
に捨てなきゃならない理由って何なんだろう。
1997年 6月
母乳育児を進めている人たちは母乳のダイオキシン汚染についてどう思っているんだろう。
断乳のこともあるし、相談所があるというので行ってみる。答えは「最近母乳育児をする人が
増えてきてミルクが売れなくなってきたから、ミルクを売りたい側の人たちが母乳は危ないと
宣伝しているだけだ。」という。ガッカリしてしまった。もっと、科学的分析や研究に基づいた
考えが聞けるかとちょっぴり期待していた。それだけ、この分野はまだ研究がされていなくて、誰も何
ともいえない状況なのかもしれない。ダイオキシンで母乳育児をやめる人が増えれば
ここの商売はあがったり。ということもあるかもしれない。しかたない。私が過剰に心配している
だけなのだろうか。
1997年6月14日(土)
「ダイオキシン問題の考え方」と題する関東学院大学工学部 川本克也助教授の講演があると
いうので聞きに行く。ダイオキシンと名の付くものならなんでもと思い、出かけたが、会場に
一歩足を踏み入れて「しまった」と思う。入口では所沢市指定のゴミ袋が無料で配られ、
壇上には「みどりの風をもとめて・・」といういかにも「さわやか」をイメージさせる看板が
掲げられている。所沢市の主催だったのだ。ダイオキシンの講演も三つある講演の一番最後だ。
講演内容はもちろん所沢の現状には全く触れず、質問の時間ももうけられていなかった。
職員は会場の椅子で、居眠りをしている。自分たちが守らねばならない所沢がどんな物で、
どんな状態になっているのかには関心ないようだ。ダイオキシンの化学式や発生要因は本でも
読めばわかる。今こうしてダイオキシンが降り注いでいるとわかっているこの土地に住んで、
私たちはどうしたらいいのかが知りたかった。この講演は私の望んでいたものではなかった。
1997年 7月 19日(土)
共産党の主催で、宮田秀明教授の講演会を聴きに行く。先生の名前は県の説明会でも何度も耳にした。
ダイオキシンの調査、研究では有名な人らしい。ダイオキシンが非常に危険な物質であること、
どのように発生するのか、所沢がいかにダイオキシンで汚染されているかはもういい。今日、
偉い先生の話に期待したのは、ばらまかれている毒の中で暮らす私たちは何に気をつけなければ
いけないのかということだ。質疑応答の中で、「母乳は三ヶ月ほどでやめるのが良いだろう」
とか「食物繊維の多い物を食べると、体内のダイオキシンが排泄されるかもしれない」
「塩は燃してもダイオキシンは発生しない。」等の回答が得られた。私が質問事項と
して書いた、「布団や洗濯物を干すことでダイオキシンを摂取しないか」とか「子どもが砂場で
遊んで、つめの間に土がいっぱいはいっているんだが大丈夫か」等には答えてもらえなかった。
夫は欲張って小さい字で書いたから見てもらえないんだという。だって、不安な事は山ほど
あるんだから。
塩ビ製のラップが10軒分ぐらい集まれば、ダイオキシンは簡単に発生すること、塩素漂白した紙を燃やし
ても発生するというお話で、自分たちの生活も見直さなくてはいけないことを感じた。より安く、より白く、より
清潔にはもういいんじゃない?
共産党の衆議院議員矢島つねお氏は、不安なおかあさん達がいつでも母乳の検査を受けられるよう
国に働きかけてくださるという。いま、生まれたばかりの赤ちゃんにおっぱいを含ませている
おかあさん方はさぞ不安な事だろう。期待しよう。母乳育児はおっぱいから出てくる母乳という
液が赤ちゃんにとっていいだけでなく、やわらかくあたたかいおっぱいそのものが赤ちゃんに
安心を与え情緒の安定に役立っていると思う。私は子育ての半分ぐらいをおっぱい手伝って
もらってたといえるくらいだ。次に子供ができたとして、私はお乳なしでは赤ちゃんは育てられないよぉ。
1997年9月
ショキングな事件。市と県が所沢のゴミ焼却施設の排煙から高濃度のダイオキシンを検出しながら、
そのデータを隠していたらしい。厚生省暫定基準の150倍(80ナノc)、ドイツの800倍
にあたる12000ナノcだという。しかも去年の調査では、高濃度の数字が出ることをおそれて、
検査の時だけ活性炭をふきこんでただとおおおお!以前、ポストに入っていたビラに「いつも
焼却しているプラスチックのゴミを測定日には燃やさず調整していた」と書いてあったのは本当
だったのだ。所沢のダイオキシンは、産業廃棄物処理場が問題なのかと思っていた。反面、既に
汚染されている航空公園のことを真剣に考えず、さあ市と市民が一体になってだの、市民意識の
啓発だのといって市が開いた「ダイオキシン汚染から環境と健康を守る市民大会」には胡散臭さ
を感じ行かなかったけど、まさかねえ。やっぱり市民大会なんてのはお得意のパフォーマンス
だったんだ。(一生懸命ここまでこぎつけた市民団体の皆さんスミマセン。このときはこう思ったのです。)
1997年9月30日
文化センターでデータ隠しに関する市の説明会が開かれる。平日の夜7時から。わざと、
人がなかなか出て来られないような時間にしたのかなとおもってしまう。今日だけは帰宅の遅い
お父ちゃんに感謝。少し遅れて会場に着くと、隣の叔母ちゃんに「あなたみたいな若い人が
頑張ってくれなくちゃ」といわれた。小さい子供を持つおかあさんこそ、この問題に関心を
持つべきだと思うけど、なかなかねぇ。おかあさん方でも、強い関心を示す人は少ない。
私も「運動家」と思われるのもいやなので、そこそにしか話さない。しかし、今日は子どもを
連れたおかあさんが何人か来ていた。子どもがじっとしていられないので、会場の外にでて
いたようだったが。
市長は私が着く前に「死にものぐるいで信頼を回復したい」とかなんとか言ったらしい。
質問者が「死にものぐるいでなんていう暇があったら、このようなことが起こった経過、事情、
これからの取り組みをはっきり説明して欲しい」といったが、のらりくらりとはぐらかし、
非常に誠実さに欠けていた。いくら私があほでもそのくらいのことはわかる。本気で説明会の
席で市民と話をし、理解し合い、真剣にダイオキシン対策に取り組んでいこうという熱意が
全く感じられなかった。過ちはあってもいい。悪いこと隠したくなる気持ちはわかる。
市長は自分は直接関わってはいないと思うかもしれない。しかし、所沢がダイオキシンで
これだけ大変な事態になっている今、職員達を教育し、正しい方向に引っ張っていくのが
市長の役目だったのではないだろうか。それを怠っていた市長の罪は重いと思う。
子どもがぐずりだした。もう9時半だ。最後まで聞いていたいがもう帰らなければ
水分の多い燃えるゴミは、なかなか燃えないので燃焼力をあげるためプラスチックを一緒に
燃やす方法は実際とられていたとのこと。市民には分別させていたけど、本当は一緒に燃や
していたって事なの?
こんな団地暮らしでなければ、コンポストを利用したいとは思っていたんだが。団地の片隅に
共同コンポストなんて置けないのかなあ。でもあれは臭いからなあ。今までの私たち、臭い物に
は蓋をして、ひっくくって、ハイさようなら。ってのが悪かったんじゃないのかなあ。ゴミだけでなく。
すべて。
1997年10月1日
昨日もらったビラの市民団体に、私が帰宅した後の様子を聞きたいと思い、連絡してみる。
リコールの動きはなかったようだ。あの後、その方向に盛りあがるかと思ったのだが。市民団体
の間でも色々考えが分かれるようだ。昨日会場での気持ちは皆同じだったはずなのに。
電話の相手はしきりに引越をすすめるが、引越はしたくない。やっと少し快適な生活ができる
ようになったというのに。家に訪ねて来る友人は誰もが「ほんとにいいとこだね」という。
近くに大きな公園があって、便利。ここが好きだから、ここを離れたくないから、ダイオキシンの
問題に関心を持ち、何とか市長に頑張ってもらいたいと思っているこの気持ちは市長には通じない
のだろうか。地価が下がって家が売れなくなって仕方なくここに住み続けている人は、
私なんかよりもっと希望を抱きながらこの問題に取り組んでいるに違いない。一日も早く「所沢
って本当にいいところ」といって移り住んできた時の、その頃の状態に戻って欲しいと。
私が母乳を与えたばっかりに、私が所沢に住んでいたばっかりに子どもの将来に恐ろしいことが
起きるなどということがありませんように。
1997年10月
友人にダイオキシンの講演会があるよと誘われたが、「ダイオキシンはもういいや」という気に
なってきている。何を聞いても同じだ。不安は募り、解決の遅さにいらだつだけだ。
1997年12月25日
ダイオキシン データ隠し問題に関する県の説明会に行く。いったいどういう意図で平日の
午後7時にしたんだろう。それでも汚染防止、汚染土壌回復に何か進展があるかと子どもを
連れて聴きに行く。市役所の正門は鍵がかかっている。どこから入れとも、どこでやってるとも
貼り紙の一つもない。不親切だ。県の方は市民団体に突き動かされて仕方なく開いたに違いない。
4月の説明会に比べると人数は格段に少ない。「産業廃棄物処理場の方の実態は実はまだ
よくわかっていません」の一言を聞いて、ああもうこりゃダメだなと思った。子どもも飽きて
しまったようだ。もう帰ろう。
説明会中に一人のご老人が倒れられた。職員らしき人の「ダイオキシンにやられたかな」
のあまりに不謹慎な一言に、いたたまれなくなってしまった。寒い日だった。
1998年3月
複合汚染被害者の会主催で、ダイオキシンを長年研究されている綿貫礼子先生の講演を聴く。
先生はイタリアの化学工場の爆発事故でダイオキシンに汚染されたセベソという町と所沢を
比較して、所沢もセベソのようになる可能性があるといわれた。セベソでは、女の子しか生まれ
なくなってしまったというのは以前、報道もされていた。SFのような話だ。ダイオキシンは精子も
減少させるというから、今から冷凍保存が必要になってくるかもしれない。いくら科学が進歩しても、
そんな事態に対応するためのものであってはほしくない。
先生はまた、環境庁が発行した「ダイオキシンってなあに?」というパンフレットを、提示して、
環境庁の無責任、無知を指摘された。因みに環境庁パンフレットには、「現在のわが国の通常の環境の
汚染レベルではダイオキシンによりがんになるほどではないと考えられています。」「現在のわが国の
通常の汚染レベルではダイオキシンにより奇形が生ずるほどではないと考えられています。」「ダイオ
キシンの発生の詳しいメカニズムはまだよくわかっていません」「調査を始めました」等の表記が多い。
確か、「農薬と環境破壊56話」のなかでは、10年も前から問題になっていると書いてある。
8年も前に筆者が書いていること。”環境庁自身の調査で大阪湾、東京湾の魚からダイオキシンが検
出された事件のコメントを求めても、担当役人は少しも周章狼狽せず、「基準値に対して微量だから、た
だちに健康被害を及ぼすものではない」ときまって答える。それはそうだろう。もし、ただちに被害と申せば
奇形とか癌死だ。コメントなどきいている暇はあるまい。”
何も変わっていない。
1998年4月
ゴミの分別が変わった。燃やせるゴミ、燃やさないゴミ、プラスッチクごみ、有害ゴミ、ビン・缶、
粗大ごみの6種類になった。いいぞ!役所!頑張ってる!もっと早くするべきだったけどしないよりはいい。
私たちも、チト面倒でもダイオキシンの発生を抑えられるならやりますよ。もちろん。でも、
その後の処理に関しては信頼しておまかせしているのですからよろしくお願いしますよ。
塩ビのものとプラスチックのものを見分けるために、銅線の先っちょを焼いてモノをくっつけ、ガスの火
であぶってその炎の色で判断するという方法が紹介されている。でもこれは嫌だなあ。ダイオキシンが発
生しないのかなあ。とりあえずは、配られた分別表を参考に分けていこう。さすが生協のものには包材の
材質:ポリプロピレンなどと書いたものもある。こうなってくれると助かるんだが。
これで、市の清掃事業所の方は少しは何とかなるとして、産廃処理場の方はどうなるんだろう。「原発は
いらないから電気を節約!」といって蛍光灯をこまめに消すと、家庭で使う電気なんか微々たるもんだと夫
にいわれる。「ちりも積もれば」だからとせっせと消しまわるのだが、これってゴミも同じじゃないかなあ。
企業や工場などから出るゴミは家庭から出るのとは桁違いに多いだろう。企業の人たちも考えてくれている
だろうか。
1998年5月
ゴールデンウイークを利用して田舎に帰る。田舎では父が無農薬の野菜を作ってくれている。送られてくる
野菜は虫に食われてぼろぼろ、中からは青虫、ナメクジが沢山出てくる。そいつらのフンの量もすごい。でも
全然平気。
感謝の意を込めてあちこちに借りている菜園を表敬訪問する。ある菜園では、隣の畑の人がたき火をした燃え
かすが残っている。父は、籾殻や、木の枝を燃やしてるに違いないというが、燃えかすの中からおもちゃを拾い
上げて子どもが遊んでいるところを見るとどうも怪しい。こんな田舎の小さい町には指導は行き届いていないのか
もし、変なものを燃やしていたら無農薬野菜が台無しだ。
1998年5月
職場でニュースステーションのことが話題になった。昨晩は子どもを寝かしつけていたのでビデオに
とてもらっていてまだ見ていない。「ひどいね、所沢市は」なんてことをいっている。そうだった。今まで県や市の
説明会で見聞きしたことはあまり人にしゃべったことはなかった。聞けば、あの人もこの人も何だか体の調子が
わるい、病気になったというではないか。みんなもう10年以上も所沢に通ってきている。一日の大半はここで
過ごしているのだ。
1998年5月20日
2月に小中学校で行った、アトピーとぜん息の調査結果がなかなか公表されないので、市に要望書を出
しに行くという。私が市役所に到着したときは、要望書の提出はもう終わっていた。
その後、固定資産税不払いを宣言した市民に差し押さえの通告が来たというので、一緒に収税課
へ事情を聞きに行く。不払いを宣言した人は、市長宛に「血液、毛髪中のダイオキシン濃度の調査結
果を操作しないと一筆書いて欲しい。書いてくれれば税金は払う。」との手紙をすでに出しているらしい。
しかし、市長からの返事はないまま(血液検査の結果は追って知らせますというものは来た)、差し押さえ
の通告が来たという。遅々として進まないダイオキシン対策に業を煮やしてのことで、別に金が惜しいわけ
ではない。正確な情報をお知らせしますよと約束して欲しい。という一市民の切実な願いである。
収税課は、差し押さえの期日が来たから規則通りに手続きしただけだという。ダイオキシンのせいで、金が取れなくなって
こっちも困っちゃってる。ダイオキシンの事なら、「ダイオキシン担当課」に行ってよ。こっちは金さえ取れれ
ばいいんだから。「ダイオキシン担当課」?ちゃんとやってるでしょ。平均値とか何とか出して。そのためにこ
ちらだって予算くんでやってんだから。来年には税金収めないぞ!っていう人がもっと増えるって?どうぞ。
結局、収税課は、ダイオキシン担当課とも話し合って今後の事を考えるということで、明日の差し押さえは
ない模様。
そっか。市民の健康と安全のために職員一同一丸となってダイオキシン対策に取り組みましょう!エイエイオー
なんてことはあるわけないんだ。そんなこと自分自身の仕事ぶりを振り返ってみればわかることでもあった。
しかし、みんな一丸となって解決しなければならない問題なのに、こうも対立してしまったらどうしょうもないなあ。
(そんなこというなら悪口書くなって?)もしかしたら職員さんは、所沢に住んでいる人少ないのか。ダイオキシン
のことあんまり怖くないのか。
1998年5月24日
自治労主催の集会に行く。なんと所沢市長も土屋知事も欠席。しぃんじられなぁい。自治労の人たちは自分たち
のボスはそういうものだと思っているのか、所沢、埼玉外からきている人が多かったからか、特に反応はなかったようだが、
私は、ものすごおくガッカリした。代理が読み上げた挨拶は、これまで全国に先駆けてこんなこんなこんなことを
我が市、我が県ではしてきた。これからも同じようにしていきます。というもの。形式だあけ。心がなあい。
市長は条例の制定にも乗り気じゃなかったっていろんな人がいっていたから、やっぱりやる気ないのかなあ。
私はあまりにも、世間を知らなすぎた。当日、航空公園で開かれていた「リサイクルフェア」には、市長がきて
挨拶したって書かれた新聞を見たから、またまたがっくり。別に取り囲んで責めたろうなんて思っていないんだから、
(その危険もあったかな?)誠実な態度を見せて欲しかった。所沢市では、何をおいてもダイオキシンの問題が
一番大切なんだという取り組みへの意気込みが見たかった。やっぱり、口だけなんだなあ。
市長は、「ダイオキシンの問題は、行政だけではどうにもならない。市民の皆さんにも協力していただいて・・・」
が口癖のようだ。リサイクルフェアも庶民が自分たちが出すゴミをどう減らしていくかということを考えるのが基本にある
のだろう。大変よいことだと思う。しかし、市民にどうしろとはいうが、自分がどうするといえないというのはおかしいんじゃないか。
「ダイオキシンは私たち生活からでるゴミから発生しているのです。ゴミをだす私達も悪いのです。」という考えは
一見正しいようだが、行政側がそこんとこばかりを強調してくると、何だか問題をすり替えられているような気がしてくる。
所沢のダイオキシン汚染は、まじめに分別していた市民を裏切って、プラスチックゴミも焼却していたことから起きた
のではなかったか。自分たちが出しているわけでもない、首都圏からのゴミによって苦しめられているのではなかったか。
集会は、ごみ問題をテーマにした寸劇などもあった。ぬいぐるみをきて汗だくで演じる青年たちにちょっぴり
未来への明るさも感じたが、産廃がどうにもならなくちゃあねえ。
市民団体の代表の方は、総量規制を急げと訴えておられた。一本の煙突から出るダイオキシンの濃度が
いくら薄くても、所沢のように何十本も煙突があるところでは、結局合わせると大量のダイオキシンが排出されている
事になるらしい。排煙中のダイオキシン濃度が規定を下回っていましたよ。というだけで安心してはいけない。
今日、所沢の、埼玉県の職員さんはどのくらい来ていたのかなあ。
1998年5月25日
5月20日発行の所沢市の広報にダイオキシン類に関する、母乳・毛髪・大気・土壌・水質の調査結果が出ていた。
数値がずらずらと並んでいる。全体的に数値が異常に低くて、一般に通用している換算の仕方をしてい
ないからだという見方もある。しかし、それはさておいて、数値をながめて思いついたことだけを書いてみる。
(本当に素人の思いつくまま。下手な詮索はしない方がいいと思いつつ)
*どこに住んでいる人がどのくらいの濃度だったかという事は「プライバシーを守る」ために公表はしないらしい。
何となく全体に東部地区の数値が高いような気がする。
*母乳中のダイオキシン類濃度の結果に関しては、すでに新聞で「平均が14.8ピコcで、諸外国のほぼ平均レベルだ」と発表したことを知っ ている。 所沢が特に汚染されているわけではないので安心せよということなのか。
*市の清掃事業所の職員の方の毛髪中のダイオキシン類濃度測定値と、一般住民のそれとはほぼ変わらない。むしろ、一般市民の数値の方 が高いくらいである。「清掃事業所からはダイオキシンは出ていませんよ。清掃事業所で働く人のダイオキシン濃度が低いのがその証拠。」と 言いたいのか。それとも、町全体が焼却炉と化し、清掃事業所で働こうが働くまいが、同じように又はそれ以上に汚染されるということを表し ているのか。
*居住年数が長いほど、ダイオキシン類濃度が高いとは限らない。とすると、ここ数年で取り込んだと考えられないか。
*土壌中のダイオキシン類濃度は、宮田先生の測定結果と較べると、随分低い。しかし、市内三カ所で45ピコc以上が検出されているのだか ら、ドイツでは、家畜を入れないようにしたり、緊急に発生源を検索し対策を実施することを考えると、ノンビリなどしていられないのではないか
*大気中のダイオキシン濃度調査では、「市内2カ所を除くすべての調査地点で指針値を下回っていた。所沢は日本の中小都市の平均と同レ ベルだ」と自慢げだが、日本の指針値自体甘すぎると言うことはさておいても、じゃあ、指針値を上回った2カ所をどうするつもりなのか。調査 の第一回目は全調査地点で指針値を上回っているのはどう説明するのか。
*河川の底泥から、85とか、23ピコも検出されていて、河川水からは0なんてことはあり得るのか。あり得るとして、じゃあ安心していいのか。
*健康リスク評価指針値は、勉強不足でどうやって計算するのかよくわからないが、○になっている。ということは、私たちは一切心配することな く、母乳を飲ませ、子どもにどんどん泥遊びをさせ、公園を転げ回らせ、煙をかぶった野菜を食べさせていいってこと?うれしい!!
子宮内膜症にならないかしら、子どもはアトピーにならないかしら。将来子どもが苦しむことにならないかしらと心配する必要は一切ないって 事なのね。約束してよ。絶対大丈夫だって。因みに調査費用等ダイオキシン対策しめて1億6千万円ナリ。
1998年5月29日
ビラをまくため、14階建ての団地に上った。市内が一望できる。やはり、煙はあがってる。防衛医大の煙突からも
黒い煙がうっすら出ていた。
1998年5月30日
新聞に「ダイオキシン汚染から環境と健康を守る所沢市民会議」(会長・斉藤博市長)が県にダイオキシン削減対策を求める要望書を出した。と書いてあったので調べてみる。
「ダイオキシン汚染から環境と健康を守る所沢市民会議」 所沢市と市民が一体になって、ダイオキシン汚染を解決する目的で97年7月2日に発足。市内の農・工・商・医等の団体と、市民団体から構成される。会長は斉藤博市長。 活動は 97年 8月 国(環境庁・厚生省)への要望書提出 97年 9月 市民大会の開催 98年 5月 県への要望書提出 今後の予定は 98年 11月 講演会の開催 99年 2月 国への要望 (所沢市広報より) |
1998年6月7日 所沢に住む知り合いとダイオキシンのことで議論になった。「ゴミをださないわけにいかないでしょ。だからしょうがない んだ。」という。まただ。ダイオキシンの話をすると直ぐにそこに行き着く。「原発反対なんて、電気使ってんだからそんな こという資格ない。」っていうのとおんなじだ。 どうも、ダイオキシンの話になるとみんな後ろめたいことがある(要らないものいっぱい買っちゃって大量のゴミを出し てる?)のか、所沢の問題にまでたどり着けない。私はというと、一人の頃は貧乏暮らしばかりでにも買えなかった。 小さいときは、震災と戦災に見舞われ二度の無一文を経験した母と祖母が、物の大切さとありがたさを教えながら育ててくれた 普通は子どもには十分にしてやりたいと思って、何でも買い与えるんだけどそれが違ったんだよね。祖母は実家に帰る度に、 私のスニーカーを点検して、靴底にタイヤのゴムを張ってくれる。母はあちこちからお古の洋服をし入れて子どもと私にとっと いてくれる。つぎをあてた靴下やパンツを文句も言わずはいている父や兄。 今までそんな抑制力がなかった人もそれほど自分を責める必要はないと思う。資本主義社会の毒牙にかかちゃった犠牲者だっ たんだと考えたらどうだろう。あちこちに自動販売機をおき、いつでもどこでも甘い冷たい何が入ってるかわかんない物のとり こにする。テレビや絵本の人気キャラクターの描かれた物をスーパーのあちこちにばらまく。夜中に出歩くとも思えない子ども の靴に電池を埋め込み、ぴかぴかと光るようにする。もちろん人気キャラクター付き。親は、子どもに泣かれちゃたまんないから 高いもんじゃなしついつい買ってやっちゃう。ホント、これが全然高くないからまたくせ者なんだよね。もしくは子どもの喜ぶ顔 が見たくて欲しいとも言っていないのに、かってやっちゃう。独身の人はどうだろう。ちったあ無理してでも車持っていないと女 の子にもてない?ブランドの服着てカバン下げてないとお声がかからない?こりゃ、しょうがないよ。 電気製品だって、部品がないとか修理代の方が新品買うより高く付くなんていって捨てざるを得なくする。企業の売らんかなの 精神は大したもんだ。しかしそのおかげで日本経済が発展し、今日のこの楽な暮らしがあると思うとそればかりも責められない。 でも、ずっとこのままっていうわけにはいかないでしょう。 こんな私も、反省することは多々ある。缶ビール。外出時だけとはいえ紙おむつは、何パック分捨てたかわからない。時々冷 蔵庫の奥で、食べ物を腐らせちゃう。一番無駄をしているなあと思っているのは・・・わかっているんです。はい。反省します。
1998年6月10日
市のダイオキシン相談室に行って来た。市の雇われ相談員で、しかも県外からおいでの先生がおっしゃることはだいたい察しがついたが、あえて相談に出かけた。市役所で、同じ子供を持つ知り合いに会い、一緒に話を聞いた。
「ダイオキシン対策課」の職員が横に付いていて、メモをとっている。対策課の職員は何にもわかってないって感じだから、先生が市に不利になることを言わないかチェックを入れるというわけではなく、同じ内容の問い合わせが来たら、同じように答えようとお勉強しているのではないかと思われた。以下にやりとりを簡単に紹介。
私の心配なことは子どもに母乳を飲ませたこと。
「2年半はチト長いなあ。」といいながら、埼玉県と、石川等3県ほどの母乳中のダイオキシン量を比べた数値を出してきて、埼玉県はそれほどダイオキシン濃度は高くないとおっしゃる。そりゃそうだまじめに調査していないんだからその数値は。諸外国と福岡県を比べた母乳中のダイオキシン濃度のグラフも示し、日本は全然ダイオキシン量多くないという。「ダイオキシンは農薬にも含まれているし、誰だって出るんだ。一兆分の一なんだから。しぃんぱいない!体内のダイオキシンは五年で半減するんだから。しかし、僕も長年母乳を勧めてきたけどちょっと考えなきゃいけないかなあとは思っている。」なんて。暗に危ないかも知れないっていってくれてるの?
体内のダイオキシン濃度が五年で半減するというのを聞いて、知人が「五年経つと今の半分になるって事ですか?でもどんどん入って来るんだから」というと、先生、答えに詰まってしまわれた。
保育園に通っている子どもが、毎日泥だらけになって遊んでいること。風の強い日は、土埃が舞う中でも平気でいることについて。
「ダイオキシンは皮膚について今直ぐなんかできるとか、ただれるということはないから、大丈夫。」
「いや、今直ぐ目に見えてどうっていうことがないから心配なんです。」
「そんなに心配なら、よく洗ってあげれば。毎日お風呂入れてやってるんでしょ。」
「でも、大気から入ってきませんか。土壌だって汚染されているのに。この前のニュースステーションなんか・・・。」
「だからだめだって、あんな報道に惑わされちゃ。所沢はそんなに汚染されてないよ。(市報の数値を示して)土壌の入れ替えが必要ならもうやってますよ。ダイオキシンは大半が食事から入るんだから。近海の魚食べないようにして。魚は週に二日。」
「いや、食事は選べても空気は選べないからどうしたらいいかって聞いてるんですけど。」
「大丈夫だっていってるの。自分たちの事は棚に上げて、スーパーにいくときは袋ぐらい持ってきなさい。」
と、話が横道にそれて時間切れ。
大丈夫と、心配ないの一点張り。バカな一市民を安心させてやろうという努力はうれしいけれど、これが予算を費やしての「対策」とは、とても思えない。
スーパーの袋そんなに悪いのかな。丸めて捨ててるわけじゃないし、市が作ったどでかい袋にちょびっとゴミ入れて捨てる方が燃えるプラシチック量は多いと思うんだけど。
98.6.
母が、新聞で「文芸春秋」の宣伝広告を見たと電話をしてきた。「ダイオキシン・所沢は日本のベトナムか!って書いてあるざ。」という。うひゃあ
ニュースステーションの映らない地域でよかったと安心していたんだけど。心配かけちゃうかなあ。「国も県も市もね・・・」というと、「原発かって5年後になくなるって決まったんやで、あんたも頑張んね。」といわれた。
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